数秘と関わることになった経緯

占いに興味のなかった私が、数秘に興味を持つようになったのは、自分の名前が何度も変わってきた事や生年月日が長い間わからなかった事が原因かもしれません。
(始めは、数秘術を占いと思っていましたが、今は、人生の設計図や青写真と捉えています。)

最初に、私の母が、娘につけたいと思った名前は、「悠子」だそうです。
役場に届けに行ったら、当時は、悠という漢字は名前に使えないと言われて、頭に来て「泉」にしたとか。
結局、泉が出生届けの名前になり、子ども時代は、「泉ちゃん」と呼ばれていました。

高校2年の時、クラスメイトのお父さんが姓名判断をしていて、「泉」は、ノイロ-ゼになって自殺するような大凶の名前だから変えた方がいいと言われました。実際、当時は、四六時中続く原因不明の痛みから、ノイロ-ゼに近い状態になっていたので、勧められた「桃子」という名前を通称として使うようになりました。
その後知り合った友人たちには「桃子ちゃん」と呼ばれるようになりました。
また、20代の10年間は、名取になった時いただいた名前「綾乃」も使っていて、日舞関係の人だけでなく、母や祖母からも「綾乃さん」と呼ばれていました。

何年か経って、通称としての桃子が定着してきた頃、当時つきあい始めた彼が、「結婚したい人がいる・・・」と、母親に告げると、まず生年月日を聞かれたそうです。
私が生まれたのは12月末頃ですが、戸籍上の誕生日は1月1日になっているので、1月1日と答えたら、本当の誕生日を聞くように言われたそうです。ところが、母は、何日に産んだのかをはっきりと覚えていなかったのです。自宅出産だし、今のように、母子手帳というのもなかったし、母の記憶だけが頼りなのに・・・。
「12月27日らしい」という答えを伝えてもらうと、その後、彼のお母さんに初めて会った時に、
「あなたたちは相性が悪い。相性の悪いものはどんなに努力してもうまくいかないから別れなさい。」
と、面と向かって言われたのです。
衝撃でした。
家族の中にも、それ程占いに興味を持っている人はいなかったので、占いで人生の大事な選択を左右する人がいるなんてという驚きと、初めて会っていきなりそんなことを言われたショックで、その日、彼とは大喧嘩になってしまいました。
あとになって、お姑さんの人生がどんなだったかを知るにつれて、占いに傾倒していった気持もよくわかりましたし、産後に生死の間をさまよった体験のある義母は、産後の不調で動けなくなった私の苦しみをよくわかってくれて、本当に助けられました。
今では、私も様々な場面で占いを活用していて、大事な選択の時にはタロットを使ったり、旅行の時には気学で吉方位を取ったりしています。

大喧嘩の数日後、「私が産婆さんを呼びに行ったからよく覚えているけど、あれは28日だった。」という叔母の証言があったのです。ところが、今度は、「28日なら、相性は良くも悪くもないけど、西野に泉も桃子も合わないから、名前を変えなければ結婚は許しません。」と言われたのです。
両親は激怒して、「親がつけた名前を変えろとは何事だ!そんな奴とは結婚しなくていい!」と言って、両家は絶縁状態となりました。

私も、結婚はまだまだ先のつもりだったので、まぁいいやと思っていたのですが、半年程経った頃、両親が関西へ旅行に行った折りに、彼の両親と会う機会があり、お酒好きの父親同士が飲んで意気投合したのです。その勢いで、あんなに怒っていた父が、「名前くらいいいですよ。」と言ってしまい、結婚式の日取りまでお姑さんが、占いで決めてしまいました。
(まるで、親の言うことが絶対だった封建時代の話のようだなぁと今更ながら思います。)

お姑さんから送られて来たリストの中から、私が最初に選んだ名前は、のちに、長女の名前になりました。西野に一番いい名前だから、孫のために置いといた方がいいという理由で、却下されたからです。
次に選んだのが「絵美子」でした。

結婚式直前、家庭裁判所に名前の変更を申請に行きました。
長年通称として使っていた名前でも、戸籍はめったに変えられないと聞いていたので、お姑さんの手前、家庭裁判所に行ったという事実だけあればいいかという気持だったのですが、予想に反して、簡単に戸籍の名前を変更出来てしまったのです。「泉」が「男女紛らわしい名前」という項目に当てはまったからです。
戸籍は、一度変えると、離婚して旧姓に戻っても、名前は戻せないと言われて、なんだか、取り返しのつかないことをしてしまったような気持になりました。

結婚後しばらくは、夫の実家や親戚に行くと、「絵美子さん」と呼ばれ、自分の実家では、桃子か綾乃で呼ばれるという状態が続きました。

かなり長い間、西野絵美子という名前に抵抗があって、なかなか受け入れられずにいましたが、数秘に出会い、それぞれの名前の数を読み取っていくことで、必然だったんだと納得し、受け入れられるようになりました。
戸籍が姓名ともに変わった日から30年も経った今では、ほとんどの人から「絵美子さん」と呼ばれていますが、「出生届けの名前でみる」という数秘術の原則に立ち返って、最初の名前の表現数(社会的な使命)を意識するようになりました。。

魂名としてのイオナム・ナサ-レは、2000年に、京都のチャネラ-を通して教えられました。
「星・雨・土の巫女」という意味だそうです。(星は永遠,雨は浄化,土は創造を表すそうです。)
この名前が表す表現数も、もっと以前だったら、自分には関係ないと思ったかもしれませんが、この時は納得でき、その年に立ち上げた会社名には迷うことなくナサ-レを使ったのです。
数秘術の先生に、「出世魚みたい」と言われた私の名前の変遷も、魂名が明かされたことで、終了となったようです。(その後に屋号を多羅に変えた訳を書くと長くなるので、省略します。)

2002年に、フィンドホ-ンからの帰国直後に、実家のタンスの奥から、私のへその緒の箱がみつかったのです。そこには、12月27日悠子と記してありました。

そこから導き出される軌道数は、28日で計算した軌道数に感じていた違和感もなく、やはり自分にとって、納得のいくものでした。また、これまでの人生での大きな出来事を数秘にあてはめてみると、ぴったり連動していることがわかりました。

これらの体験から、数秘を自分の参考にとどめるだけでなく、必要な人に伝えることで、その人の人生にとって大きなサポ-トになると確信しました。
数秘は非常にシンプルなのに、その人の人生の様相を正確に教えてくれます。だから、初めて個人セッションに来られる方についての数秘を知ることで、より効果的なサポ-トを可能にしてくれたのだと思います。

私たちは、一人一人それぞれ異なる設計図を携えてこの人生を生きています。
それがどんな設計図なのかを知ることは、真に自分らしくあることを支えてくれると実感しています。
また、まだ気づいていない自分の可能性を知ることでもあると思うのです。

2000年以降、自分の魂の望む方向が、徐々に明らかになってきました。それは、「所司泉」や「イオナム・ナサ-レ」のハ-ト数が表している「魂の切望」に、よりフィットしていると感じています。
「西野絵美子」の役割も、もうすぐ終わりそうだし、封印してきた「所司泉」を復活させて、一部で使っても、天国のお義母さんは、笑って許してくれるのではと思うこの頃です。