木聲舎物語

命名

who01「建物に名前をつけて下さい。」
設計士さんにそう言われて,夫が“もくせいしゃ”とつぶやいた。響きがいいし,“木の声を聴く学び舎”という意味ならぴったりだと思った。

‘声’は古い字体の‘聲’という字を使うことにした。
そのせいか,まるで昔の木造校舎のような感じを受けると思うが,実際の建物も,平成14年に完成したのに,ず~っと以前からそこに建っていたような佇まいである。
 

土地との出会い

ontake11多くの建物がそうであるように,木聲舎も,土地とのご縁,人とのご縁が重なった結果出来たものだと思う。
最初のきっかけは,両親や姉弟一家総出の旅行で行く所を探していた時に,西野という地名が開田にあったからである。西野川,西野峠,西野温泉等西野尽くしの地名がある所に一度行ってみようという,いかにも夫らしい提案で,開田高原を訪れたら,思いがけず素晴らしい所ですっかり気に入ってしまった。

最初の訪問から一月程経ったある日,新聞に,長野県地域開発公団の“開田高原保健休養地最終分譲”の案内をみつけ,様子を見に行くことにした。
その時売り出されたのは13区画で,希望者が複数の区画は抽選をすることになっていた。土地を買うつもりはなかったが,せっかく来たから参加してみようと一番よさそうな区画に応募した。結果は落選。「今日は楽しかったね。」で一件落着と思っていた。

ところが,それから数日後,「当選した方が辞退したのでいかがですか?」という電話が掛かってきた。はいもいいえも即答出来なかった。数日待ってもらうことにして,次の休みの日にもう一度その土地を見に行った。その日はこれ以上ない程の快晴で,御嶽山は真っ青な空を背景にくっきりと聳え,高原をわたる風は爽やかで心地よく,「ここに住めたら最高!」という気分になった。

夫はすぐ決断したが,私はかなり迷った。そこに家を建てられなかったら,土地の転売は難しいと思ったし,家を建てられる余裕はまったくなかったから。でも,木にもたれて,その土地のエネルギ-を感じた時,数秒で,長い間瞑想した時のような深い静寂と穏やかさに満たされた。私にとっては,それが決め手だった。
 

自然の中で過ごす貴重な時間

s-img007それから何年もの間,度々開田高原を訪れては,購入した土地の林の中にビニ-ルシ-トを敷いて,パンを食べたりコ-ヒ-を飲んだりして過ごした。その時によくもたれていた太い栂の木は,今,木聲舎の二階の梁になっている。
やがて13区画のあちこちに家が建ち始め,両隣の区画にも家が出来た。でも,頭金もない私たちが家を建てるのは,ずっと先と思っていた。それが急に建てようと思い立ったのは,女神山ライフセンタ-での合宿ワ-クがきっかけである。

女神山ライフセンタ-は,上田の別所温泉の近くにあり,合宿セミナ-用の施設とおいしい自然食を提供している,“日本のフィンドホ-ン”とも呼ばれている所である。そこが出来た時から毎年一度は行っていた。女神山の自然の中で過ごす数日間は,ストレスから解放され,自分を取り戻す貴重な時間だった。

思い返してみると,子どもの頃からいつも生きづらさを感じていた私にとって,都会を離れて豊かな自然の中で過ごす時間は,それが1年のうち数日だとしても,その時間がなかったら生きていけなかったと思うくらい価値のあるものだった。そして,それだけではなく,幸せな記憶も,すべてその時々の美しい自然とセットになっていることにも気づいたのである。

また,オ-ナ-のけいこさんにライフセンタ-を建てた時の話を聞いて,なんとか早く開田高原に家を建てたいと思うようになった。 
 

設計士さんとのご縁

s-img005そもそも,家を建てる気など毛頭なかった夫が,家を建てようという気になったのは,私の産後の不調を心配した義母に,「病気は家相が災いしているせいだから,とにかく早く引っ越すように。」と言われたからである。(本当は口には出せない霊的な理由があったらしいのだが,聞かず終いで義母は亡くなってしまった。)夫は,東京郊外の建売住宅等を随分見て回ったが,何しろバブル崩壊前のこと,手が出せそうな価格で家相のいい家など全くなかった。土地を買って家相のいい家を建てようと思うようになったのである。

そんな頃,「家づくりの会」という東京近辺の設計士さん達が作っている会が開催した「家づくりセミナ-」に夫婦で参加した。20人くらいの設計士さん達との質疑応答の後で,「どの人がいいと思う?」と夫に聞いたら,私が思っていた人と同じだった。その川口さんとは,家づくりの会の事務所で一度お話したが,それからまもなく海外転勤という形で引っ越すことになり,家を建てる話は棚上げになってしまった。帰国後も,元の家にいたのは半年程で名古屋に転勤になったため,家づくりの話は,棚上げのままだった。

開田高原に家を建てようと決めた時,始めは名古屋の工務店を訪ね,建物見学会にも行ってみたが,どうしてもぴんと来なかった。でも,東京から開田までは遠すぎて川口さんには頼みにくいと思っていた。

ここでの決断を促したのは,友人にやってもらったタロットカ-ドである。他の候補者に頼んだ場合のカ-ドは忘れてしまったが,川口さんに頼んだ場合で引いたカ-ドは,“アバンダンス(豊かさ)”だった。この意味は,木聲舎の完成後初めて泊まった時にわかった。包まれるような安心感と同時に,意識の拡がりを感じ,この上なく豊かな気持ちになったのである。また,家づくりを通して,自分の“豊かさ”に関する問題に直面するさまざまな体験をすることになった。
川口さんは一晩悩んだらしいが,快く引き受けてくれた。
独学で建築を学ばれただけあって,設計の仕事が好きでたまらないということが,打合せの度に伝わって来た。工事現場でも,いつも楽しそうに見回っていて,その姿を見るのが楽しみだった。
 

ヴィジョンに光を送る

川口さんには,体にいい家を造って欲しいということを一番に希望した。(その中には最低限の家相の問題をクリアすることも含まれていた。)一年以上経って,設計図が完成し,工務店を探す段階になった。しかし,そんな手間ばかりかかって儲けの薄い仕事を引き受けてくれる工務店は容易にみつからなかった。そんな時,エネルギ-ワ-クを長年教えている方を名古屋にお呼びして,ワ-クショップを開く機会が出来た。

ワ-クショップの最後に,「居るだけで心からくつろげて,ありのままの自分を表現出来るスペ-スを創る」というヴィジョンにみんなから光を送ってもらった。私自身そういうスペ-スをずっと欲していたし,セラピストを目指すようになってからも,ヒ-リングの理想として,何かをしたからよくなるというより,「何だか知らないけど,来たら元気になっちゃった。」というのがいいと思っていた。「そのヴィジョンが実現した時の感覚を味わって下さい。」という誘導で感じたのは,深いところからわき上がってくる静かな歓びだった。

それからまもなく,塩尻の林建工さんから川口設計事務所に連絡が入った。その後,地元の工務店にも行ったのだが,最終的に林建工さんにお願いした。林社長は実直な人柄で,木が大好きで木材に大変詳しい人だった。しかし,最初の見積もりの結果は,大幅に予算超過。天井の高さから引き戸の金具から細かくいろいろな部分を削って見積もりし直してくれたが,たいして変わらなかった。結局,玄関棟とその上の和室をすべてカットすることにした。せっかく樹木が上から下まで見えるように工夫された設計だったのに・・・。そこで,縦長に細長い窓を造ってもらうことでその意図を生かすことにした。結果的に,この窓は訪れた人の中でも一番人気がある。また,変更したために,和室や納戸はなくなってしまったが,間取りは使いよくなった。更に完成してからわかったことだが,玄関から入った氣がスパイラル状に1階から2階を抜け,ロフトの天窓から出ていく構造になって,とても氣の通りのいい家になった。
 

伐採の前にどうしてもしたかったこと

いよいよ工事に向けて,整地することになり,まず木を伐採することになった。

フィンドホ-ンでは,木を伐る前に,その木のディ-バ(精霊)に伝えておくという話を聞いていて,私もそうしたいと思っていたのだが,具体的にどのようにしたらいいかわからなかった。そんな時,フィンドホ-ンのフラワ-エッセンス創始者であるマリオン・リ-さんが,旅行の途中で日本にも立ち寄り,セミナ-を行なうという案内をもらった。それに参加して,直接マリオンさんに聞くことができた。

木を伐る3日前までに,木のディ-バにすべてのエネルギ-を根っこに集めて置くように伝えることや,サポ-トになるフラワ-エッセンスについても教えてもらった。また,神道系の活動をしているところで聞いた,「“実生の苗を用意して,伐採する木の木霊に移ってもらう”という方法はどうですか?」と質問したら,「その方法の方がいいかもしれない。」とのことだった。(日本では,昔から,例えば伊勢神宮の式年遷都のために樹齢何百年もするような木を伐る時等は,このようにしているそうです。)

基礎を深く掘るために,伐採した木は根っこも全部掘り起こすので,この方法を取ることにした。そのことを設計士さんに伝える時,変な人と思われるか,一笑に付されるかとドキドキしたが,「それはいいですね!」と言ってくれたのでほっとした。
 

看板彫り

s-img010地鎮祭から基礎を造り,棟上げまでは急ピッチで進んだ。棟上げは12月末になり,ちらちら降る雪の中での作業で,大工さん達はどんなにか寒く大変だったことと思う。それから春まで,骨組みはビニ-ルシ-トにすっぽりくるまれて冬眠となった。

工事を再開してからが長かった。棟梁の高橋さんは,製材された木材をさらにまた1本ずつ鉋をかけたり,本当に丁寧な仕事をされていた。壁や床全体に断熱材を入れながら,無垢の木だけで建てるのが,どんなに手間のかかることかよくわかった。結局7月中旬に完成の予定が10月末までかかってしまった。それだけ工期が延長して一番大変だったのは,林社長だったと思う。

その年の春から秋までは,往復5時間以上の運転をものともしない夫のおかげで,しょっちゅう日帰りで開田高原に通った。それでも,行く度にいい所だと思えたのがうれしかった。

完成までに,木聲舎の看板を自分たちで作るということになり,林社長が提供してくれた檜の板に,父が筆で書いた‘木聲舎’の文字を写し取って,彫刻刀で掘った。父は,最初に開田高原を訪れた翌年,脳梗塞で倒れ,半身麻痺になってしまっていた。(そのことがあったので,木聲舎の1階はバリアフリ-にしてもらった。)父は,リハビリのために書道を習い,障害者仲間と共同で展覧会も開いていた。そんな訳で,父に木聲舎の字を書いてもらうように頼んだのである。「木聲舎に関わるなるべく多くの人に掘ってもらいましょう。」という川口さんの提案で,兄弟姉妹他いろいろな人に掘ってもらった。最後は黒く塗ることになっていたが,まだ白いまま玄関を入ったところに飾ってある。 

こうして,多くの人々の力と見えない存在の助けで,木聲舎は完成した。本当に感謝でいっぱいです。

それから年月が経ち,いろいろなことがあった。
冬の凍結で,シャワ-やウォッシュレットが次々壊れたり,台風で地下に浸水したり,庭にとんでもないもの(夫にとっては,とんでもなく素晴らしいもの)が置かれたり・・・。

出会いもたくさんあった。
開田に移り住んで石釜でパンを焼いているタビタのパン屋さんや,脱サラで家具職人になった金時さんや,大阪から毎週通って,たった一人で家を建てた裏隣のおじさん等,他にもユニ-クな人がいっぱいいる。いつかまたそんな話が書けたらいいなと思っています。

感想ノ-トから

s-img003木聲舎を訪れた人がノ-トに感想を書いてくれました。
とてもすてきな表現ばかりなので,一部を紹介します。

☆木に包まれた空間がこれほど心地よいとは・・・!
“天国のような家”に来れて良かった。うれしい。                  

☆人も自然の一部なのだとつくづく感じる。長く住めば住む程,木 が与えてくれるパワ-が,自分を元気に,エネルギ-を充電する予感。        
何回でも,四季折々の風情を楽しむために,足を運びたくなる。        

☆Mokuseishaに降り注ぐ澄みわたった純粋なエネルギ-,木の香り,包み込まれるような心地よさ,いつまでも忘れずに一緒にもち帰ります。
 夢抱き 心ときはなち この地の聖霊と遊びたわむれる時 
 魂の奥の光の泉がめざめる
 ハ-トからあふれる愛と喜びは この森をみたし 
 もりの光人たち そして 木々のスピリットとのダンスの宴がはじまる 
 月がいやしの音色を奏で 女神と共に えにしの巫女が舞う       

☆暖気が2階に昇るための小窓(?)の工夫と実力のすごさを,滞在していた3日間が雨でとても寒かった為に体験させてもらいました。

☆一番好きな所は窓の切り方です。どの部屋からも美しい景色が見え,季節の移り変わりを, 目と耳で感じ取れます。いやしとゆとりの空間が,時を忘れさせてくれます。

☆外壁の色がいいですね。目立たない様でいて,しっかりと存在感があって・・・景色ともよくマッチしています。

☆サロンに入った瞬間,ガラス越しに広がる山林の景色-これがたまらない。居ながらにして山を抱き,渓流を聞く。都会人の憧れです!
暖炉の薪がパチパチ燃え始めるその姿を見ていると,郷愁のような和やかな懐かしさを覚え, 飽きることなく見入ってしまう。
見とれちゃったのは,10時頃ザ-ッと差し込んだ階段辺の光線です。正しく芸術。
魅せられちゃったものは,階段の窓から見た星空。真っ青な空に星の大群が瞬く,それも芸術。童心に帰った-そこは屋根裏。子供の夢がふくらんでいく楽しい場所。

☆外壁の濃い灰色と内装の白木のコントラストが絶妙。天井の梁の力強さの一方で,天窓,ロフトなど到る処に見られる繊細さ。壁面全体に開かれたガラス窓から見える景色は一幅の絵の如く
 碧空に鎮座まします御嶽の峰にのこりし雪の白さよ
などと,詩心のない者にも一句ひねらせる趣あり。とにかく素晴らしさを満喫した。

☆何といっても心やすらぐのは,木の香りに満ち,自然の採光に包まれて,人々の物音が,木独特の響きの中で聞こえてくることでしょうか。
居るだけで気持ちが良い「森林の中」という空間を殺さずによくこれだけナチュラルに,建物が存在できたものだと思います。中にいても半分は林の中にいる気分でいられることが,たぶん,この家のいちばんすばらしいところなのだろうといろいろ考えて思いました。

☆二階に入った時の左からの光が曲線を演出
見える世界と見えない世界の深い理解が感じられます

☆家のすく近くに原生林があるような自然に恵まれた所で,いっぺんに好きになりました。家もシンプルでとても居心地が良い雰囲気があって,こんな所で毎日ボ-としていられたらいいな~と思いました。
   

木聲舎掲載誌

「新建築 住宅特集 2003/11 住むための技術・室内環境編」 新建築社刊
「自然を楽しむ 週末別荘傑作選」  世界文化社刊
                                        

フィンドホ-ン関連書籍

「フィンドホ-ンの花」アイリ-ン・キャディ
「フィンドホ-ンの魔法」ポ-ル・ホ-ケン
「心の扉を開く」聖なる日々の言葉 アイリ-ン・キャディ
「天使の歌が聞こえる」ドロシ-・マクリ-ン
「大地の天使たち」ドロシ-・マクリ-ン
「愛の波動を高めよう」アイリ-ン・キャディ
以上はすべて山川紘矢・山川亜希子訳 日本教文社刊
「神は私にこう語った」アイリ-ン・キャディ 山瀬勝訳 サンマ-ク出版本文

フィンドホ-ンについて

フィンドホ-ン共同体は,スコットランドの北にあり,1962年にピ-タ-&アイリ-ン・キャディ夫妻と3人の息子それにドロシ-・マクリ-ンが、キャンプ用の土地に1台のトレ-ラ-を置いて住み始めたのがはじまりです。

アイリ-ンは毎日神からのメッセ-ジを受け取り、それをピ-タ-が着実に実行に移し、ドロシ-は植物のディ-バ(精霊)の声を聞くようになり、その指示に従って畑を作っていくうちに、荒れ地が見事な畑に変わっていきました。多くの人々がこのフィンドホ-ンの不思議な畑を見学に来るようになり、エネルギ-に満ちた奇跡の土地として有名になりました。

その後、ニュ-エイジの教育機関として多くの人々を育て、さらに自然と調和したエコハウスや自然と共同創造する「エコビレッジ計画」を世界中にひろめて、平和活動に実績ある共同体として表彰され、1988年には 国連からNGOとして正式に認可されました。また、2004年には、故アイリ-ン・キャディがMBE(大英帝国勲章メンバ-:首相の推薦によって英国女王から与えられる勲章)を授与されました